誕生日がお目出度い人に驚くアラサー。
関わっている小1が嬉々としてこんなことを言う。
「はやく誕生日になってほしい」
なんで?と尋ねると
「パーティだから」
と嬉々として答えた。
いい大人ならば「そうだね、来年は何が欲しい?」とか笑顔で共感的な返答をするんだろうけど
自分の誕生日が母の命日でもある私は、この子は自分の誕生日が祝われて当然で、自分の誕生日がめでたい日だと疑いなく思っている、
という事実に衝撃を受けてしまいます。
いや、まあだいたいの人が自分の誕生日と近親者の命日が重なってないんだと思いますが。
私の場合はただ目出度いだけと言うわけではないので、その純粋に自分の誕生日が嬉しくて待ち遠しいという気持ちに驚くばかりか反発さえ感じてしまいます。
この子にとって誕生日が祝われることが当然である、ということ。
当然の権利であるかのごとく感じられるのは、嫌な感じがしてしまいます。
いやこの子は何にも悪くないんですけどね。
自分が誕生した記念の日を祝ってもらえる、すばらしいことです。
即ち、誕生を肯定されて、祝福されているということでもあると思うので、その事実をすばらしく思います。
私の場合、11歳の誕生日に母親ががんで亡くなり、自分の誕生日がただ目出度いだけの日ではなくなりました。
私にとって自分の誕生日は母親が亡くなった悲しい日でもあるのです。
誕生日に対する感覚の違いに驚いているのです。
誕生日がお目出度くない人だっているんだぞ、という思いが頭をよぎります。
いやまあ実際にそんなことを言うわけではないですけどね。
そして、私は心のどこかで自分の誕生日を祝ってほしくないという思いがあります。
実際に祝われたら嬉しさもきちんと感じるんですけどね。
しかし、心のどこかに誕生日を祝われることに拒否感があります。
たしかに俺が生まれた日だけど、俺の母親この日に死んで悲しい思いがよぎるから別に祝わわなくていいよ…。
という気持ちが常にあります。
いや、そうじゃない人に対して恨みとか嫉妬とかは無いですが、そっとしておいてほしいなということなのでした。