職場で誠実である、ということ。
私は以前、職場で誠実であることにかなり意識していました(いや、今も抜けてないですが)。
職場では、ある程度の誠実さは必要です。
出勤日時を守るとか、約束を守るとか、一般的なルールを守るとか。
ということ以上に人に誠実である、ということを意識していました。
誠実に人に接する、嘘をつかない、誰にでも人当たりよく、全方向にいい人であるというようなことです。
で、なんでこんなことを意識していたかというと、本音と建て前があるのです。
建前:社会人として常識的に接する。
本音:誠実に振舞うから、自分を受け入れてほしい。
この受け入れてほしい、というのが曲者なのです。
受け入れてほしい、というのはある意味では、自分を丸ごと受け入れてほしい、ということであり
自分の評価が他人軸によって決まってしまっているような感じなのです。
だから、既にたくさん仕事を抱えているとしても、事情を説明して断るとか、きつくても言えないとか、そういう事態になるのです。
なぜかというと、断ったら見捨てられてしまうかもしれない、という不安があるからです。
そもそも、相手はそんなレベルで自分に接していないのですが、こっちとしては愛情の授受の死活問題のようになっています。
あなた上司です。部下に何を求めますか?
愛ですか?
きっちり仕事をこなすことですか?
こっちは、仕事を通して見捨てられないとか、好意が欲しくなってしまっていますが、
上司は、しっかり頼んだことをしてほしいと思っています、何かあれば報告してほしいと思っています。
なんかすれ違っていますよね。
誠実に全力を尽くして、愛情をもらおうとしても、もらえない訳で、
ミスをして怒られても、別に人格について言及されている訳でもありません。
あなたの仕事での働き=役割、機能を見られているのです。
人格に言及してくる人には近づかない方が良いでしょう。
大事なのは、役割や機能を果たすことで、怒られたとしたら、あなたの役割遂行方法を修正すればいいのです。
方法や上司の考えと違ってたんだな、と思えばいいのです。
と、そういう風に、
職場とはあくまで機能をはたしてお金をもらうところであり、
自分の本来の姿でなくていいですし、
大袈裟にいえば、きちんと役割をはたしていれば八方美人でなくてもいいのです。
そんなふうに最近考えて働いています。