人の機能、役割の話。
機能という言葉の方がなんとなくしっくりくるんですが、要は役割の話です。
最近、私の考えていたことがひっくり返っているので、その話。
私は小学校高学年の頃、母親と死別して、そこからずっと喪の悲しみをどうすることもできないまま、世間に対する信頼感が崩れ、悲観して、自分のそういう悲観、悲しみ、不信、自信の無さなどをうまく回復できずに、また中高でクラスメートから嫌がらせにあいながら、父親からも気分によって怒られたりして傷つきをもって過ごしていた訳なんですが、
私は私が受けたそのようなダメージをうまく修復できずに昨今まできてしまっています。
そのようなダメージを修復するには、誰かの助けがあるといいというのは分かっていながらも自分で回復させよう、という思いでいました。はよ専門機関に行けという話なんですが。
何人かお付き合いできた人が現れて、その関係の中で分かったのが、例えば私の傷つきは相手の人が自由奔放にしていても特に変化がないということ。
相手の人が慰め機能、気遣い機能を果たすと私の傷つきが引いていく感じがするのです。
そうすると私は相手に感謝するわけなんです。
反対に私はというと、私も相手に対してフォロー機能、気遣い機能を発揮しなければただのお荷物という感じがします。
いや、情けで構い続けてくれるかもしれませんが。
なんでかわざわざ機能とか役割とか、そういったことを意識しないとなんかだめという感じなんです。
人と人とが助け合う、程度や意気込みは少し置いといて、この単純なことに私はなぜかブラックな思いがあるようなのです。
要は、私は誰かに擁護的にしてほしいという思い、甘えみたいな気持ちがあるようなのです。
いやみんなあると思うのですが、自分をどうにかしてほしいという思いが今は先行してしまっているのです。
自分の親は本当は親役割をしたくなかったんじゃないか、とか考えてしまって、それを他者一般にもひろげてしまったのかもしれません。
失礼しました。
困っていること
困っていることがある。
勝手をする恐怖を解くことと、フォロー機能を果たすことのバランスが取れないのだ。
まず、彼女の家にて過ごすときに小さい子どもがいるので、彼女は当然親機能(親役割)を果たさなければならない。
私もある程度親機能、子どものフォロー機能を果たさなければならない。
しかし、私の心理に、彼女の自宅にて過ごすとき常に緊張して夜も緊張で眠れず翌日疲れ切ってしまうという問題があった。
そこで、私は何で緊張しっぱなしなのか考えた。
私の生い立ちから、勝手にすること、自由にすることに恐怖があることが考えて分かった。
というのも、実家に居るころ、私が自由を主張すると内容によっては親は酷く不機嫌になり、それが何日も続く。何日も口も利いてもらえない、ということさえあった。
その間、常に緊張していた。っていうか、もう実家でリラックスできない。
私の親は気分屋で、少なくとも私には何が良くて何が気に入らないのか良く分からないのだ。
多分、その経験から、今の私も自由にすることに恐怖感があるのだろうと思った。
そのこと、勝手にすること、自由にすることに恐怖があるのだとしっかり言語化できたところ、その緊張がすーっと引いていく感覚があった。
しかしだ、その勝手にすることでの恐怖を解くと、今度はフォロー機能を果たそうということがお座なりになってしまう。
勝手をする恐怖を解くことと、フォロー機能を果たすことのバランスを日中と寝る前でうまくできればいいのだが。。。
まだ、自分の反応を観察中なのだが、次に行くときはフォロー機能を意識して、寝る前は自由にする緊張を解く試みをしてみようと思う。
誰がモラハラ被害者になりうるか、また、被害にあわないために。
私は男性で、モラハラと言われるような人とは付合ったことは無いのですが、最近私が多少の関心を持っているモラハラについて考えたことを書きます。
本稿は
『カウンセラーが語るモラルハラスメント』谷本惠美、2019、晶文社
『メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服』崔烔仁、2016、星和書店
の二冊の本と
私が見聞きした話を参考にしています。
モラルハラスメント(以下モラハラ)をする人は、付き合っている最中には見破りにくいようです。
モラハラをする人は付合っている最中には、とても献身的で身なりも羽振りも良いようで、一見完璧で理想的な人物に思われるようです。
それが、結婚した途端にそれまでの献身的な態度は一変し、パートナーを自分の一部や付属物のように見なし、人権を認めず、文字通り支配をし出すようになります。
なんということでしょうね。
大雑把にモラハラがどんなことか見て見ましょう。
心理的、性的、経済的虐待、私刑を駆使しますが、巧妙で、パートナーに「自分が悪いのかもしれない」と罪悪感を植え付けるように振舞います。
例えば、パートナーが友人と外出したいという場合、モラハラの人は言葉の上では「いいよ」と言うものの、パートナーが外出から帰ってくるとモラハラの人が怒っており、理由も教えてもらえず、外出とは関係のない家事のことなどを責め続けるなどを通して、次第にパートナーは自尊心を削られ、「自分が自由を主張しなければ関係が保たれる」といった心理に追い込まれるようになるようです。
何がきっかけで相手が激怒しているか分からず、自ら相手に従うように促すのがモラハラのやり方です。
直接的な暴力や禁止の文言は使われず、自信を失わせたり、罪悪感を植え付けたりする言葉の暴力、睨みつける、威圧、罰を与える等が使われるようです。
このようにモラハラをする人と関わると大変な思いをすることが分かります。
モラハラをする人もモラハラに引っかかりやすい人も幼少期からの育ちが適切さに欠くことが考えられます。
谷本氏によると
自分の思い通りにいかないことがあることや自他の境界を認めることは葛藤を伴いますが、それを克服しない方が楽なので、なんでも思い通りになる幼いころの楽な方法をモラハラという手段で大人になっても使い続けている。
とのこと。
つまり、モラハラの人というのは適切な葛藤処理の方法や自他の境界の感覚が未発達なまま大人になり、自己中心的に振舞っています。
モラハラの人は、自分の楽園を作るため、つまり社会的信用も得られ簡単に離れられず相手を支配し続けるための結婚生活を送るために、交際中は完璧な人を演じるようです。
では、そんな完璧な交際相手を過信しないためには。
モラハラに引っかかりやすい傾向として私は、100%幻想を挙げたいと思います。
崔氏によると
100%幻想とは、世界中探せばだれか自分の人生の苦悩を100%丸ごと抱えてくれるのではないか、という思いです。
適切な養育では「こんなに愛してくれる親でも、なんでも解決できるわけではなく、自分でどうにかするしかないこともあるのだ」という感覚を得られるようですが、
外傷的育ちの人の中には、100%誰かに抱えてほしい、と言う思いを抱えたまま大人になってしまう人もいます(私もその傾向ありですが)。
外傷的育ちの人にはもっと他にも起こりうる傾向として、感情調節が苦手、自己評価がもろい、自己否定的、見捨てられ不安など、この辺りのことはACや発達理論の本などにもたくさん書いてあります。
ここで、100%幻想の人とモラハラの人が交際関係に発展してしまったらどうでしょう。
交際中、甲斐甲斐しく完璧で理想的な恋人として振舞うモラハラの人と、誰かに丸ごと抱えてほしいと思っている100%幻想の人、互いに引き合ってしまうのうではないでしょうか。
外傷的育ちを振り返ることは辛さを伴うことであり、軽々しくちょっとやってみなよ!と言えることでもないですが、外傷的育ちの人が自分の為の人生を歩む為にはモラハラ被害にあってしまっては遠退く一方に思われます。
モラハラの人もまた不適切な養育の被害者なのだ、ということも言えるかもしれませんが、被害者だから他人の人生を支配、利用していいものではないと思います。
心理的につらい作業になるので、心理士、精神科等を利用することもできます。
被害にあわないために、自分に100%幻想がないか、という点は言えそうです。
今後も考えていきたいと思います。
自他の境界が曖昧な自分
私は自他の境界が曖昧なことがままあります。
イメージ的には自他境界が建設的な人が自分の体の外に自分の体の形に添ってあるとすると
私は私の中にこじんまりとした境界の輪郭があるようなのです。
他人の言葉、態度が自分の体の中に入ってきて、心身に同じように染まる感じというか巻き込まれるような感じがあります。
自分の境界の外に自分の体がはみ出ているイメージになりますね。
自分の価値観を振り返ってみると、人というのは一本の矢印のようで、時間経過とともに伸びていく。
人と接しているときは、その人の矢印と並走している感じになります。
自他の境界を今よりはっきりさせたい私は、自分に「すれ違って(いて)も並走できる」と言い聞かせるようにしています。
「すれ違い」とは、時間、空間を同一にする他者と思考、感情、行動が異なってることと考えています。
となると、ほとんどいつでも他者と「すれ違って」いることになります。
(同じ環境で育って生活している一卵性双生児が最もすれ違わない他者同士ということになりますね)
しかし、それを私は忘れがちなのです。
私の場合、「すれ違い」が怖いのだと思います。
じゃあすれ違わないようにすると自分が飲み込まれてしまうんですが。
そこで、「すれ違って(いて)も並走できる」と思うと私は人と違っていいのだ。
自分を主張していいのだ。
という思いを自分にとどめておいておけるのです。
となると、私も他者も同じ地平にいて、且つ、どちらかが一方的に譲り続けるのではなく、妥協と譲り合い、お互い様をできるようになってくると思うのです。
境界が曖昧だと、他者の不快感情や怒りに巻き込まれて自分の情動が乱される感じがします。
しかし、そういう態度を選択することが私の一種の生存戦略になってしまっていたようなので、これからは変えていきたいと思います。
自他に対するリスペクトは大事ですね。
私の中にいる被害者で加害者の私
私の中には、親にやられてきた人格というか心性のようなものがある。
解離性同一性障害ではない。
私の場合は、所謂はっきりとした虐待(身体的、心理的、ネグレクト)を受けてきたわけでもない。
じゃあ親にやられてきたとは何のか。
父親は私に権力争いの姿勢でかかってくる。
テレビのニュースなんかで父親が何らかのコメントを言う。
当時23歳前後の私も、知ってる知識や意見などを返す。
すると父親は無視するのである。
父親は自分と異なった意見について、自分の権威が脅かされたかのように感じているのではないかと思う。
そこで、自分のほうが優れている体を回復するために、こちらの意見など取るに足らないとでも言うのつもりなのか、無視する、または別の話題で返してくる。
こうなると、私は自分の意見を受け取ってもらえず、無味乾燥の悲しみにさらされる。
次第に同じ空間にいるのに寂しくなってくる。
また、私は母親と11歳で死別し、大袈裟に言えば、ずっとそのグリーフを抱えて10代、20代と過ごしてきた。
私はそのグリーフについて色々考えたり小此木圭吾著「対象喪失」を読んだりしてきたが、どうにも付き合い方が分からず、母親のこととなると都度生々しく悲しくなったり傷ついたりしていた。
そのためか、自分に自信がなかった。効力感もなかった。
大学3年くらいで既に人生疲れ切った思いでいた。
大学卒業したら老後に入りたいと思っていた。
当然希望の仕事などもなく、就活も難航した。
やりたいと思える仕事も全然ないだけでなく、面接という場で自分について話すことも大変に緊張し、アピールなんてできもしなかった。
父親に「やりたい仕事ないの?」とぶっきらぼうに言われてひどく傷ついた記憶がある。
なんてことない質問だが、とても痛く辛い問いかけだった。
父親の顔色を窺って過ごした。
20歳過ぎていたが、私は父親の気分でいつ食料が絶たれても仕方ないというような気でいた。
その後なんとかかんとか私は大学院に逃げ込んだのだが、父親とはこと働くことの話題となると、私の無力感などつゆ知らず、怒ったような様子で私に詰めてかかるのだった。
私の自信、自尊心、効力感といったものは紙1枚くらい薄さしかなく、おそらく真っ当に自尊心が育っていれば父親の言葉にもそこまで傷つかずに済んだのだろう。
私は都度無力感を刺激されひりひりと痛み悲しみを感じるだけで、私の認知機能はオーバーヒート状態だった。
大学院は楽ではなかった。忙しかった。そしてしんどかった。
2年間あっという間だった。
私は修論で手一杯で就活はできなかった、と周囲に言っていた。
本当は、専門職の道も考えたが、私では不適格だと感じていた。
心理学を学んだが、自分のケアをしないと人のケアをしている場合ではなかった。
その道のバイト先を見つけようとも思ったが、父親に険しく苦情を言われ、専門職は諦めた。
既卒となり、引く手あまたの介護の会社に入社する。
介護の会社では、人の死に文字通り直面した。
仕事上といえども、人の死は非常につらかった。
この仕事を一生の仕事にしようとは思えなかった。
転職すると父親に言えば、どうしてか不機嫌になる。
従来の価値観から言えば、転職はだめなのだろう。
私は、人の死に接する辛さが分からないのにどうこう言ってくるなと抗議していた。
なんやかんや介護の会社は3年半くらい務めた。
私は一人暮らしをしようと思った。
それもなぜか父親に偉く反対された。
父親は私のことをいったいどうしたいのか私はさっぱりわからず、苦しんだ。
一緒にいてもろくに会話もせず、しても会話はお互いにボールを投げるだけで受け取らない。
それなのに家を出るな、である。いったいもう訳が分からない。
それでも何とか「勝手にしろ」と言われ一人暮らしを開始した。
その顛末は以前の記事に投稿した。
親元を離れたが、今度は彼女の子ども達と接する機会が増えた。
子どもには悪気無く傷つけられる。
私には治ってない傷が多いみたいだ。
普通の人には何でもないことだが、お子さんらが何の気なしに触れる私は傷口だらけで勝手に傷つく。
親元を離れたのはいいが、親子関係でボロボロになった私というのが、私の中にいる。
その私というのは、相手が子どもであっても相手の不機嫌に巻き込まれ自分が完全に悪いかのような気がしてしまう、相手の要求を自分が辛くなっても飲み続けなくてはならないような気がしてしまう、断る勇気がない、といった感じなのである。
自分の親子関係で、自分は被害者だったはずなのだが、その被害者としての自分が自分自身を苦しめる加害者にもなっていた。
被害者としての私は子どもと接する場で生じる対立やすれ違いの時に私を責めたり私が主張することを邪魔したりする加害者でもあるようだ。
なので、私は他人とすれ違っても良いと考えるようになった。
まだ完全ではなく、度々自分の被害者で加害者の心性に心を飲み込まれてしまうことがある。
子どもというのは、自分と認知能力に差もあれば、価値観、生活スタイル、体力、見えるもの、なんでも違う。
すれ違ってばかりいる。
私も一緒にいて彼らの遊びに付き合うが、やはりもうこれ以上遊ぶのはしんどい、今は疲れているからもう辞めたい、といったすれ違いが起こる。
被害者で加害者の私は、そんなときに適切な主張を妨げる。
少し休みたいだとか、別のことがしたいだとか、私の思いを行動に移そうとすることを妨げる。
すると、私は苦しいのに何も言えず、付き合い続けなくてはならなくなる。
私はそうなると心身疲れ切る。
子どもって言うのは、安心しているせいかもしれないが、平気で不平不満を言ってくる。
それと遊んで、遊んでとこちらの気など考えが及ばないようだ。
その時に、私は「人とはすれ違ってよいもので、すれ違っても並走できる」と自分に言い聞かす。
すると、私は自分の気持ちを主張するきっかけをつかまえる。
反対に、それを忘れて被害者で加害者の私が無自覚に主権を握ると、私は一気に苦しくなる。
私自身も苦しく、また怒りを感じ、罪のない子どもにイライラしてしまう。
すると、関係はこじれる一方だ。
私は自分の心性と付き合い、自分の機嫌を自分でとっておきたい。
機嫌の悪さは関係悪化を深めてしまう。
だれも望まないはずだ。
自分の心性と付き合い、自分の機嫌を自分でまかない、良好な関係を持っていきたい。
そんなことを考える30歳の今日この頃だ。
小1にマジレスするアラサー
先日、子守りの最中に小1女児がこんなことを言った。
「将来は赤ちゃん作って~うんたらかんたらで~☆」
私「赤ちゃん欲しいの?」
「そりゃそうでしょ!」
さも人として子どもを持つことが当たり前かのように話していたので、なんやと!とちょっと反発心を感じながら
私「欲しいならいいけど、子どもを必ず作らなきゃいけないわけじゃないよ。よく考えてね」
と咄嗟に返答して、なんとなく二人とも押し黙ってその話題は終了しました。
従来的な価値観に縛られずに生きていってほしいと、余計なことだったかもしれないですが言ってしまった。
イエの問題、ジェンダーの問題、ほか色々あるけど、あなたらしく生きてくれ。
サウルの息子を見て。
ゾンダーコマンド
ドイツ語で特殊部隊と言う意味で、強制収容所にいた囚人の中でも殺されたユダヤ人の後始末を担当していた囚人達のことでもある。
収容所に運ばれてきたユダヤ人はガス室で殺された後、ゾンダーコマンドによって焼却され、残った灰は川に捨てられた。
殺されたユダヤ人は骨まで焼かれて、殺された人数は正確に分からない。
新任のゾンダーコマンドの仕事は、前任のゾンダーコマンドの死体処理だったという。
ゾンダーコマンドは数か月くらいで入れ替わっていたそうだ。
とてもむごい。
サウルの息子 という映画を見て少しネット検索するとそんなことが書いてある。
ゾンダーコマンドは、何度か暴動を起こしていたらしいが結局はドイツ軍によってほとんど殺された。
ドイツ軍の刑務官の目を盗んで、書いた記録や写真を瓶に入れて土に埋めていたものが戦後掘り起こされていた。
強制収容所ってどんな風に終わりを迎えたんだろうと思い調べてみると、ソ連軍や米軍、イギリス軍が開放していったらしい。
どの軍もあまりに残忍な光景だったと感じたようだ。
イギリス軍や米軍はドイツ民間人を強制収容所に連行し、お前らのやったことはこんなに残酷なことだったんだぞ、と見せつけたとのことだ。
米軍に至っては、あまりに残酷な状況に冷静さを失い、刑務官を捕まえ、囚人たちにこいつを殺すかどうか決めさせて殺していた。
ウィキなんかに上記のように書いてあった。
ウィキに載っている収容所の数はざっとみても何十か所もあった。
人種差別思想と政治、火器使用や権力行使、様々な暴力によって人が人を殺した。
歴史を見て、大量虐殺が政治的に行われて、ひどい国だ、ひどい政権だという単純な話ではない。
人が人を殺さずとも暴力は発揮される。
斎藤環氏のnoteには、人と人とが会うところには必ず暴力が起こる、あらゆる関係には暴力がある、といったことが書いてあったと記憶する(違っていたらごめんなさい)。
あらゆる人と人のやりとりは根本的に暴力で、質や量によって、優しさと呼ばれたり、楽しさと呼ばれたり、ハラスメントと呼ばれたり、色々な形をとる。
歪んだ思想から大量虐殺が起こった、というだけではなく、我々一人ひとりも暴力を行使してしまっているのだ。
そんなことないよ、と思う人もいるだろう。
近頃で暴力が可視化したことある。インターネットにおける様々なコミュニケーションサービスだ。
新しいサービスに対して、おそらくごくごく自然に反応し利用した人たちの間で何が起こったか、
いじめ、誹謗中傷である。
掲示板やSNSなどに、悪口を書く、特定の人を仲間外れにする、大量の誹謗中傷を書き込む、数人が大量に書くこともあれば、多数の人が書き込むこともある。
まあインターネット以前の時代でも、暴力は蔓延していたけど、それを男だから、女だからとか、新参だからとか、お局だからとか、社長だからとか、いろんな形をとって差別やハラスメントになっていたと思いますが。
四方田犬彦氏のかわいい論という本に、強制収容所内にの壁に猫の絵があった、という記述があったと記憶する(間違っていたらごめんなさい)。
強制収容所という暴力の濁流の中に、猫の壁画、囚人を癒すようなものがあったとのことだ。
猫の壁画、癒し、もちろんこれも暴力の一つだろう。
人に干渉するものは全て暴力だから、猫であっても、癒しであっても暴力には変わりない。
囚人の心を癒したら、それも暴力だ。
収容所という暴力装置の中で、囚人の意欲が少なからず回復し、暴力が再生産される。
となると、人が直接の暴力を発揮せずに済むのは死んだあとかもしれない。
私たち一人ひとりの個人のレベルであっても暴力は存在し、暴力の発揮から避けられない。
それを無自覚に生きていてよいのだろうか。
そんなことを思う映画だった。