誰も見てないブログ

介護職していて、一人暮らし始めようとしたら適応障害になって仕事辞めたアラサーがただ自分のこと書いてます。ここを見てるのはあなただけ。

自他の境界が曖昧な自分

私は自他の境界が曖昧なことがままあります。

 

イメージ的には自他境界が建設的な人が自分の体の外に自分の体の形に添ってあるとすると

 

私は私の中にこじんまりとした境界の輪郭があるようなのです。

 

他人の言葉、態度が自分の体の中に入ってきて、心身に同じように染まる感じというか巻き込まれるような感じがあります。

 

自分の境界の外に自分の体がはみ出ているイメージになりますね。

 

自分の価値観を振り返ってみると、人というのは一本の矢印のようで、時間経過とともに伸びていく。

 

人と接しているときは、その人の矢印と並走している感じになります。

 

自他の境界を今よりはっきりさせたい私は、自分に「すれ違って(いて)も並走できる」と言い聞かせるようにしています。

 

「すれ違い」とは、時間、空間を同一にする他者と思考、感情、行動が異なってることと考えています。

 

となると、ほとんどいつでも他者と「すれ違って」いることになります。

(同じ環境で育って生活している一卵性双生児が最もすれ違わない他者同士ということになりますね)

 

しかし、それを私は忘れがちなのです。

 

私の場合、「すれ違い」が怖いのだと思います。

 

じゃあすれ違わないようにすると自分が飲み込まれてしまうんですが。

 

そこで、「すれ違って(いて)も並走できる」と思うと私は人と違っていいのだ。

 

自分を主張していいのだ。

 

という思いを自分にとどめておいておけるのです。

 

となると、私も他者も同じ地平にいて、且つ、どちらかが一方的に譲り続けるのではなく、妥協と譲り合い、お互い様をできるようになってくると思うのです。

 

境界が曖昧だと、他者の不快感情や怒りに巻き込まれて自分の情動が乱される感じがします。

 

しかし、そういう態度を選択することが私の一種の生存戦略になってしまっていたようなので、これからは変えていきたいと思います。

 

自他に対するリスペクトは大事ですね。