誰も見てないブログ

介護職していて、一人暮らし始めようとしたら適応障害になって仕事辞めたアラサーがただ自分のこと書いてます。ここを見てるのはあなただけ。

人の機能、役割の話。

機能という言葉の方がなんとなくしっくりくるんですが、要は役割の話です。

 

最近、私の考えていたことがひっくり返っているので、その話。

 

私は小学校高学年の頃、母親と死別して、そこからずっと喪の悲しみをどうすることもできないまま、世間に対する信頼感が崩れ、悲観して、自分のそういう悲観、悲しみ、不信、自信の無さなどをうまく回復できずに、また中高でクラスメートから嫌がらせにあいながら、父親からも気分によって怒られたりして傷つきをもって過ごしていた訳なんですが、

 

私は私が受けたそのようなダメージをうまく修復できずに昨今まできてしまっています。

 

そのようなダメージを修復するには、誰かの助けがあるといいというのは分かっていながらも自分で回復させよう、という思いでいました。はよ専門機関に行けという話なんですが。

 

何人かお付き合いできた人が現れて、その関係の中で分かったのが、例えば私の傷つきは相手の人が自由奔放にしていても特に変化がないということ。

 

相手の人が慰め機能、気遣い機能を果たすと私の傷つきが引いていく感じがするのです。

 

そうすると私は相手に感謝するわけなんです。

 

反対に私はというと、私も相手に対してフォロー機能、気遣い機能を発揮しなければただのお荷物という感じがします。

 

いや、情けで構い続けてくれるかもしれませんが。

 

なんでかわざわざ機能とか役割とか、そういったことを意識しないとなんかだめという感じなんです。

 

人と人とが助け合う、程度や意気込みは少し置いといて、この単純なことに私はなぜかブラックな思いがあるようなのです。

 

要は、私は誰かに擁護的にしてほしいという思い、甘えみたいな気持ちがあるようなのです。

 

いやみんなあると思うのですが、自分をどうにかしてほしいという思いが今は先行してしまっているのです。

 

 

 

自分の親は本当は親役割をしたくなかったんじゃないか、とか考えてしまって、それを他者一般にもひろげてしまったのかもしれません。

 

 

失礼しました。