サウルの息子を見て。
ゾンダーコマンド
ドイツ語で特殊部隊と言う意味で、強制収容所にいた囚人の中でも殺されたユダヤ人の後始末を担当していた囚人達のことでもある。
収容所に運ばれてきたユダヤ人はガス室で殺された後、ゾンダーコマンドによって焼却され、残った灰は川に捨てられた。
殺されたユダヤ人は骨まで焼かれて、殺された人数は正確に分からない。
新任のゾンダーコマンドの仕事は、前任のゾンダーコマンドの死体処理だったという。
ゾンダーコマンドは数か月くらいで入れ替わっていたそうだ。
とてもむごい。
サウルの息子 という映画を見て少しネット検索するとそんなことが書いてある。
ゾンダーコマンドは、何度か暴動を起こしていたらしいが結局はドイツ軍によってほとんど殺された。
ドイツ軍の刑務官の目を盗んで、書いた記録や写真を瓶に入れて土に埋めていたものが戦後掘り起こされていた。
強制収容所ってどんな風に終わりを迎えたんだろうと思い調べてみると、ソ連軍や米軍、イギリス軍が開放していったらしい。
どの軍もあまりに残忍な光景だったと感じたようだ。
イギリス軍や米軍はドイツ民間人を強制収容所に連行し、お前らのやったことはこんなに残酷なことだったんだぞ、と見せつけたとのことだ。
米軍に至っては、あまりに残酷な状況に冷静さを失い、刑務官を捕まえ、囚人たちにこいつを殺すかどうか決めさせて殺していた。
ウィキなんかに上記のように書いてあった。
ウィキに載っている収容所の数はざっとみても何十か所もあった。
人種差別思想と政治、火器使用や権力行使、様々な暴力によって人が人を殺した。
歴史を見て、大量虐殺が政治的に行われて、ひどい国だ、ひどい政権だという単純な話ではない。
人が人を殺さずとも暴力は発揮される。
斎藤環氏のnoteには、人と人とが会うところには必ず暴力が起こる、あらゆる関係には暴力がある、といったことが書いてあったと記憶する(違っていたらごめんなさい)。
あらゆる人と人のやりとりは根本的に暴力で、質や量によって、優しさと呼ばれたり、楽しさと呼ばれたり、ハラスメントと呼ばれたり、色々な形をとる。
歪んだ思想から大量虐殺が起こった、というだけではなく、我々一人ひとりも暴力を行使してしまっているのだ。
そんなことないよ、と思う人もいるだろう。
近頃で暴力が可視化したことある。インターネットにおける様々なコミュニケーションサービスだ。
新しいサービスに対して、おそらくごくごく自然に反応し利用した人たちの間で何が起こったか、
いじめ、誹謗中傷である。
掲示板やSNSなどに、悪口を書く、特定の人を仲間外れにする、大量の誹謗中傷を書き込む、数人が大量に書くこともあれば、多数の人が書き込むこともある。
まあインターネット以前の時代でも、暴力は蔓延していたけど、それを男だから、女だからとか、新参だからとか、お局だからとか、社長だからとか、いろんな形をとって差別やハラスメントになっていたと思いますが。
四方田犬彦氏のかわいい論という本に、強制収容所内にの壁に猫の絵があった、という記述があったと記憶する(間違っていたらごめんなさい)。
強制収容所という暴力の濁流の中に、猫の壁画、囚人を癒すようなものがあったとのことだ。
猫の壁画、癒し、もちろんこれも暴力の一つだろう。
人に干渉するものは全て暴力だから、猫であっても、癒しであっても暴力には変わりない。
囚人の心を癒したら、それも暴力だ。
収容所という暴力装置の中で、囚人の意欲が少なからず回復し、暴力が再生産される。
となると、人が直接の暴力を発揮せずに済むのは死んだあとかもしれない。
私たち一人ひとりの個人のレベルであっても暴力は存在し、暴力の発揮から避けられない。
それを無自覚に生きていてよいのだろうか。
そんなことを思う映画だった。