介護的時間がない感じ
どこの業界もそうかもしれませんが、
介護の世界は時間がない、と思います。
あまり悠長にしていると、お客さんのADLとかQOLとか、健康とか、衛生面とかどんどん落ちていきます。
悠長にしたことが結果として生活レベルをぐっと下げてしまったり、最悪命にかかわったりもします。
本人が正に望んでいなくても、風呂に入れたり、部屋の掃除をしたり、お節介的振る舞いや認知症を利用して口車に載せたり、そんなことを繰り返すことで、健康で文化的な生活が維持できたりすると思います。
そこで働く人の振る舞いというのは、じっくりとお客さんと向き合う、というよりもちょっとお節介、時にはお客さんの健康や生活機能向上のための提案を強引に進めようとする方が適性があるように思われます。
じっくりとお客さんの言うことを聞いてしまうと、何日も全く風呂に入らなかったり、1週間同じ下着や洋服を着続けたり、部屋に閉じこもったり、いい大人だったら放っておいて何か健康を損なっても自己責任だと言われるような事態が往々にして起こります。
食事、排泄、入浴や更衣等の生活の生理面、と服薬や処置等の生活の医療面とでも言う側面は介護業界の顧客としての高齢者や認知症者には、多少強引にまたはうまく口車に載せてでも進めることが良いとされている風潮があると思います。
したいことをする、やりたいようにやる、という生活の行動意欲面はどんどん伸ばすというか、何もしなたくないというのをどう扱うかということと、
そもそも、特定のこれがやりたいという計画性の伴う意欲の意思表示が実現できなくなると、なんだか、対応の仕方もそれに合わせたものに変える必要があります。
この、計画性を伴う意欲の実現能力とでもいうようなこと、明日買い物に出かけたいとか、来週外出したいとか、っていう記憶の痕跡を頼りにその時がきたらきちんと実行しようとすることが難しくなった人には、誤魔化したりして、お節介的に振る舞いが合ってくるように思います。
本人がどんどん判断や思考、理解、時間展望、遂行機能が難しくなるほど、お節介が有効になっていく、一方、そこが介護的阿漕を許してしまうところでもあって、
本人が特段の意思表示ができないことをいいことに必要のない介護用具を使ったり介護保険の単位数を上限まで使うとか、経済的虐待とかそういったことがまかり通ってしまったりする可能性がでてきたりして、
で、何が言いたいかというと、お節介が良しとされると、お客さんとの交渉がどんどん増えて、とくに生活の生理面とか医療面は本人が面倒くさいと思っても推し進めなければならない感、というのが最近苦痛だな、と思ったということでした。