認知症でも学習できるのではないかと思った話とその他。
私は介護職なので、日常的に認知症の人と会う。
この間、職場の認知症のおばあちゃんに手でグー、パー、チョキの順番で手の形を変えるのを見せて、真似してもらった。
すると、おばあちゃん、え、何?と言いながら真似をしてくれた。
だけど、グー、チョキ、パーの順番で出したり、グー、パー、グーの順番で出したりしていた。
そこで、もっとゆっくりのスピードで、グー、パー、チョキとすると、少しずつできるようになってきた。
チョキを出しかけて、パーにすぐ変えようとするとか、グーを出しかけてパーを出すとかを経て、最終的にゆっくりだけど、一緒にできるようになった。
そのおばあちゃんは、失敗しても、成功してもうふふふと笑って「ありがとう」と言って喜んでくれているようだったので、つい何回もやってしまった。
一時的に意識を向けた対象を覚えておく機能を、確か作業記憶、ワーキングメモリーと言ったと思うけど、認知症でもある程度保たれているようだった。
これを繰り返していけば、次第に覚えてくれるかもしれない。
まああまりこれは日常生活において意味ある動作ではないけど。
ところで、私の介護職歴の中で、認知症の人に対して言葉で言って聞かせようとする人と時々会う。
「さっきも言ったでしょ」「○○なんだから、××でしょ」「そうじゃなくて、こうだ」
なんというか、こういう口調で言って聞かそうとしている感じなのである。
認知症の症状で見当識が弱くなったり、全体的な理解力が落ちていて、非認知症の人には素直に受け入れられない、間違っていると感じられることを認知症の人は言ったりする。
それに対して怒り出す人もいるようで「さっきも言ったでしょ!」「なんでできないの!」という表現を使ったりする人を見かける。
私が普段思うのは、認知症の人は非認知症の人と同じように複雑に考えたり、記憶したり、状況を理解することは非常に困難になっていく、つまり、能力の限界が下がっていくから、非認知症の人が認知症の人に同じ水準を要求してもどうにもならないと思うのだ。
っていうか、同じ水準のことができたら、介護などという支援は必要ない。
介護職でありながら、その点を理解していない人が結構いるのではないだろうか。
相手の人が、自分と同じように物事を理解できると思っている節なのである。
それが通じないから、介護なんていう援助が必要になっていると思う。
そもそも、人の能力というのは認知症とか発達障害とか関係なく、人によってばらつきがあるもんだと思う。
職場の大人に対しても時折思うけど、
同じ注意をして、一向に治らない人に、同じ注意をし続けても時間とエネルギーの無駄だと思うのだ。
どうしたら、その人がこちらの意図通りに動くか、どうしたらその人が動きやすくなるか、どうしたらその人の持つ能力を発揮できるか、そういうことを考えた方がいいと思う。
けど、そこまで暇じゃない人が大半か、そういう発想を持っていない人もいるし、何回注意しても治らないと嘆いている人もいる。
そして、それはなんというか、一定基準を満たしているか否かで判断していて、一回注意したら即治ると思っているか期待している節が、そういう人にはある様子に感じる。
そういう人は、自分の注意の仕方が万人に通じるという思い込みがあるのかもしれない。
しかし、まあもう少し人間は複雑だから、色々な方法を試した方がいいよね、と思ったのでした。