「年始はいい服を着せて初詣に連れていく。それがお年寄りや体の不自由な人にも当然の権利」の感想
訪問介護で働いていた時は、世の中の祝日とか休日とか、年末年始も関係なく働いていました。
シフト勤務だったので、朝も昼も夕方も、夜勤もやっておりました。
そんな私が、「年始はいい服を着せて初詣に連れていく。それがお年寄りや体の不自由な人にも当然の権利」というtogetterの記事を読んだ感想を書きます。
年始はいい服を着せて初詣に連れていく。それがお年寄りや体の不自由な人にも当然の権利」
これって多分、施設介護での話だと思うんですよね。
私が勤めていたのはサ高住(高齢者用のアパート)での訪問介護なので、仮に入居者の家族から件の発言をされたとしたら「そうですね」としか言いようがありません。
「そりゃあ、そういう権利もあるでしょうね!」という感じです。
「だから、初詣に連れていくべき」と、言われた際には、
- 外出の同行という仕事の依頼であることの確認
- 料金の説明
- 真冬の外出の為、帰ってきた後体調を崩すリスクがあること
- 最悪、その体調不良によって亡くなるリスクがあること
- 本人が拒否した際の取り決め
- いい服の準備をどうするか
- 移動手段
- 弊社の人員配置の問題
こんなことを相談したうえで、互いが了解を得られれば実際に動くことになるでしょう。
この相談の上、納得できないなら、家族で連れていけばそれで解決でしょう。
うちで引き受けられず、家族も引き受けられないなら、外出を請け負ってくれる別の業者に頼めば解決ですね。
もしうちが引き受けたとすれば、
いい服の準備、移動手段(タクシー)、同行の料金、緊急時の医療費
全て家族か、本人の負担になりますね。
サ高住は施設ではありませんからね、このくらいはかかります。
でも、施設であっても、請け負う業務の範囲というのはあると思うので、これを請け負うか否かはそれぞれの施設によって変わるんだと思います。
ここで、違和感を覚えそうなことは、介護は介護保険という国の制度でありながらも、
ビジネスの側面もある、ということではないでしょうか。
介護保険の制度ができたのは最近ですから、それよりも古くから事業を行っている団体は数多くあると思います。
施設、とか、預かる、とかそういった言葉のイメージが、あたかも何でもやってくれて当然という意識を作ってしまっているのかもしれません。
ですが、現実的に考えて何でもやって当然なんてことは無いんじゃないですか?
私はよく「今日の○○さんの薬がもうありません」と焦った様子の発言を聞くと「無いものは飲めないですね」と返しています。
無いものは飲めないですし、食べられないですし、使えません。
それをどうにかする、という意識は持っておいた方がいいとは思っています。
別の方法とか、代替手段とか、対応策とか。
件の発言、何と言いますか、通常の業務の範囲の認識が事業者と顧客とで食い違っている、ということですよね。
実際のところ、介護現場で、この日は人がいないから出勤してくれませんか?と職員に頼むことはよくあることで、
しぶしぶ出勤してくれる人もいるわけです。
そんな人に、家族から無理解な発言をされたら、そりゃ殺伐とした気持ちになりますよね。
特に年末年始や祝日、この日に「今日は営業を休みます」「食事も、介助も行いません」というのはまあ、起こらないでしょう。
利用者家族は家で紅白見たり、なんかいい物食べたりしてるんでしょうが、
そこで、それが嫌なら転職すべきというのは、それもそうだね、という感じです。
人は皆、個別の事情を抱えているものですから、あまりいがみ合っても仕方ないとも思いますし、
働き方もそれぞれで一応選べますし、
件の発言についても、施設側が何でも請け負うものでもないと思いますし、家族側もなんでも押し付けるものでもない、と思います。
相談とお互いの理解の上で、合意できれば、それでいいと思いますが、合意できなくても、それはそれではないでしょうか。
合意できないなら、家族は施設を変えるという方法もあるはずですよね。