中国思想と心理療法って通底してんだなと思った「ハーバードの人生が変わる東洋哲学」を読んでの感想
ハーバードの人生が変わる東洋哲学
悩めるエリートを熱狂させた超人気講義
熊谷淳子訳
2018年、ハヤカワ文庫
ネタばれが含まれると感じられる内容となっていますのでご注意を。
を読みました。
駅の本屋さんの全面に陳列されていて興味が湧いて買いました。
私は東洋哲学、孔子とかの思想は全然知らず、素人です。
本書では、孔子、老子、荘子、墨子、荀子といった中国の思想家の思想の内容がかいつまんで、筆者の主張が展開されていきます。
私は初めて中国の思想家の思想について書かれた本を読んだ訳ですが、本書で紹介されていた孔子の「礼」、かのように、は面白いなと思いました。
かのように、振舞うことで自分を変えていくのは、振舞う側、振舞われる側の双方に変化をもたらすものだろうなと思いました。
ここで思い出されるのが、心理療法のプレイセラピーでした。
プレイセラピーはだいたい10歳代の初めくらいまでの子どもに対する心理的支援ですが
ここでセラピストに求められる振舞いに「かのように」が含まれるように思われたからです。
私は学生時代にプレイセラピーを実習で少し体験したことがあるのですが、子どもに安心して自己表現を手助けするためには、そのクライエントの子どもの遊びに付き合うという姿勢が必要でした。
プレイセラピーはプレイルームというおもちゃとかが色々置いてある密室のような部屋で行われるんですが、
例えばかくれんぼをすることになって、子どもがこっちから丸見えのところに隠れてもすぐに発見するのではなく、遊びに付き合ってしばらくどこにいるか分からないかのようにふるまったり、
ヒーローごっこで悪役を演じることになってヒーロー役の子どもにばっさりとやられる役を演じたりと、
「かのように」のふるまいが結構出てきます。
これによって、子どもとの間に信頼関係ができるだけでなく、子どもが安心して心の内に抱えている感情や思いを表現したり、自分で対処できるようになっていったりします。
ということを孔子の「礼」の説明を読んで思いました。
そういう意味では、心理療法とも通底しているなと思いました。
少し前に流行った「ありのまま」というのを考えるのにもいい機会でした。
私は自分の「ありのまま」を把握することは大切なことだと思っています。
しかし、「ありのまま」を考えるときに大切だが難しいと思う点がフロイトの構造論だったか局所論だったか、意識、前意識、無意識のやつです。
自分の「ありのまま」を捉えようするとき、自分の意識のからは無意識の領域に入っている感情、思考を捉えるのは結構難しいと思うのです。
更には、無意識の内の感情や思考が言葉になっていれば良いものの、言葉になっていない感覚的なもの、言葉にまとまっていない思考なんかはそこに在っても意識に上ってきたところで「この感覚はなんだろうか」と吟味する必要があると思います。
ジェンドリンが言っているフェルトセンスとも言えるかなと思います。
つまり、言葉になっていない体の感覚、緊張、そわそわした感じとかざわざわした感じとかの「感じ」、
「ありのまま」を考えるとき、自分の明確に意識出来ていない部分も含めての全体が自分の「ありのまま」だと思うのでこれは把握が難しい訳です。
更には、自分の「ありのまま」を考えたとき、あれもこれもめんどくせーと思ったり、仕事行きたくねーとか思った時、さあ大変。
自分の「ありのまま」に従うと、社会に適応しないということになってしまうなあと思っていたところでした。
本書では、荀子が「ありのまま」には従うなと、言っているそうですが、自分の「ありのまま」が社会不適合を起こしそうだったので、なるほどなと思いました。
必ずしも社会というか、企業で働かなくても生きていく術はあると思いますが、私がそれを実践できるかは現時点で怪しいのもので。。。
それと思ったこと、本書は筆者が英語圏というかアメリカで活動している人だと思うんですが、その人から見た中国の思想が紹介されているわけですが、これは元の思想を表現できているんだろうか、という懸念がありました。
あまりやっていませんが、原典にあたることが学ぶ上で結構大事だと思うので、原典かそれに近いものにあたる方が、より正確に理解できるのではないかと思うのです。
そういう意味では、この本だけで中国思想が理解できたぜ、とはまだ思えないので、中国にもっと近い著者の東洋哲学の本も当たってみたいなともいました。
中国思想素人の私としては、面白く読めた本でした。